私がPDになった経緯 2
アメリカ留学がストレスになったかというと…
その正反対でした
もちろん英会話力も十分でない状態で一年間アメリカで暮らし、
アメリカの大学で勉強するということはとても大変なことでした。
実際ホームシックになりましたし
でもオレゴン州のゆったりした自然の中で
家族のような留学仲間と一緒に過ごした一年間は、
私の心身に良い影響を与えてくれたんだと思います。
2007年3月末。
帰国直前の私の心情は
嬉しさ半分、不安半分といったところでした。
家族に会える喜びや
住み慣れた日本に帰れる安心感の一方で、
一年ぶりに会う友達と
以前のような関係を築けるのか…
といった不安もありました。
そして、その不安は的中したのです。
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その正反対でした

もちろん英会話力も十分でない状態で一年間アメリカで暮らし、
アメリカの大学で勉強するということはとても大変なことでした。
実際ホームシックになりましたし

でもオレゴン州のゆったりした自然の中で
家族のような留学仲間と一緒に過ごした一年間は、
私の心身に良い影響を与えてくれたんだと思います。
2007年3月末。
帰国直前の私の心情は
嬉しさ半分、不安半分といったところでした。
家族に会える喜びや
住み慣れた日本に帰れる安心感の一方で、
一年ぶりに会う友達と
以前のような関係を築けるのか…
といった不安もありました。
そして、その不安は的中したのです。
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私の大学での友人関係は、
サークルと学部が中心でした。
私が帰国した時点で、
学部の友人はほぼ全員留学中でした。
(私が半年早く留学したため)
一方サークルの方は
同期が幹事学年として
運営を始めたところでした。
私も役職に付くように頼まれたため
4月からサークル運営に参加することになったのです。
でも、私が不在だった1年間の間に
サークルの中では確固とした人間関係が作られていました。
友達と話していても
いつの間にか私だけ輪から外れてしまう…
友達との間に距離が空いてしまったのです
さらに、2年次を丸一年間海外で過ごした私にとって
苦労したのが後輩との関係作りです。
何しろ約50人の後輩全員が初対面だったのですから。
他の同期が後輩と良好な関係を築いているのに
私は「はじめまして」から始めなければいけない…
当然後輩もよそよそしい態度を取ります。
これもかなりのストレスでした。
ゴールデンウィーク明けから
頻繁に動悸を感じるようになってきました
でも、夏までは
・気のせいだろう
・運動不足のせいだろう
・帰国したばかりで疲れてるんだろう
と放置していました。
こうして私は
「自分の居場所」
だと思っていたサークルの中での孤独感を、
新しく始めたバイトで紛らわせながら3年次の生活を過ごしていました。
「何かがおかしい」
と思い始めたのは、その年の秋からです
思ったより長くなってしまったので、
また続きます
サークルと学部が中心でした。
私が帰国した時点で、
学部の友人はほぼ全員留学中でした。
(私が半年早く留学したため)
一方サークルの方は
同期が幹事学年として
運営を始めたところでした。
私も役職に付くように頼まれたため
4月からサークル運営に参加することになったのです。
でも、私が不在だった1年間の間に
サークルの中では確固とした人間関係が作られていました。
友達と話していても
いつの間にか私だけ輪から外れてしまう…
友達との間に距離が空いてしまったのです

さらに、2年次を丸一年間海外で過ごした私にとって
苦労したのが後輩との関係作りです。
何しろ約50人の後輩全員が初対面だったのですから。
他の同期が後輩と良好な関係を築いているのに
私は「はじめまして」から始めなければいけない…
当然後輩もよそよそしい態度を取ります。
これもかなりのストレスでした。
ゴールデンウィーク明けから
頻繁に動悸を感じるようになってきました

でも、夏までは
・気のせいだろう
・運動不足のせいだろう
・帰国したばかりで疲れてるんだろう
と放置していました。
こうして私は
「自分の居場所」
だと思っていたサークルの中での孤独感を、
新しく始めたバイトで紛らわせながら3年次の生活を過ごしていました。
「何かがおかしい」
と思い始めたのは、その年の秋からです

思ったより長くなってしまったので、
また続きます

テーマ : パニック障害(PD)
ジャンル : 心と身体
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